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オリジナル小説『おかえんなさい、ラブマネさん』その12

オリジナル小説『おかえんなさい、ラブマネさん』その12
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こんにちは、宮比ひとしです。
この記事では、オリジナル小説である『おかえんなさい、ラブマネさん』その12を紹介します。

おかえんなさい、ラブマネさん その12

おかえんなさい、ラブマネさん

 

恋愛保険の相談窓口となる恋愛支援専門員(ラブマネージャー)の青年が、個性豊かな利用者の恋愛支援に奮闘するラブコメ小説となっています。

登場人物の紹介

影沼洋一かげぬまよういち・・・美鷹恋愛支援センターに勤務する新人ラブマネージャーであり、本作の主人公。

野山愛子のやまあいこ・・・影沼洋一と同棲中の交際相手。

花岡百永美はなおかもえみ・・・影沼洋一が担当する女子大生の利用者。

富樫烈久とがしたけひさ・・・花岡百永美の交際相手。

大空夏樹おおぞらなつき・・・影沼洋一が担当する金髪ギャルの利用者。

坂本浩介さかもとこうすけ・・・大空夏樹の交際相手。

濱崎極はまさききわむ・・・影沼洋一が担当する定年退職した男性利用者。

濱崎弘子はまさきひろこ・・・濱崎極の妻。

山田直也やまだなおや・・・影沼洋一が担当するオタク青年の利用者。

中谷舞なかたにまい・・・靴屋『エムメス』の女性店長。

四谷高夫よつやたかお・・・美鷹恋愛支援センターの所長。

一ノ瀬友子いちのせともこ・・・影沼洋一の世話を焼く中年上司。

六本木美加ろっぽんぎみか・・・影沼洋一の先輩ラブマネージャー。

新田貴彦にったたかひこ・・・元諏実高校野球部の男性。

新田伸枝にったのぶえ・・・新田貴彦の妻。

前回までのあらすじ

百永美に素直な気持ちを伝え、洋一がアパートへと戻ると、別れたはずの愛子が待っていた。
誤解がとけると、二人は眠りにつく。
その夜に愛子が見た夢、それは蜻蛉神社で迷子となったところを、眼鏡をかけたお兄さんに助けてもらった十一年前の出来事だった・・・

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十月十九日 木曜日

間もなく、だ。
布団の中で身を縮めながら洋一は生唾をのんだ。
間もなくきゃつらの咆哮が響き渡る。

掛け布団をそっと上げ、ビルの隙間から標的を狙うスナイパーの如く目を研ぎ澄ませた。が、視界はぼやけ、きゃつらの輪郭は靄に溶けていた。慌てて枕元をたぐり眼鏡を嵌めると、ボジラ、キングゲドラ、メカボジラの姿がくっきりする。腹に埋め込まれたアナログ時計の針が六時二十九分を通り越したところだ。三体の前で愛子が寝息を立てている、あたかもそこが地上の楽園かのように。

洋一はほくそ笑んだ。
あと一分……
あと一分で夢の楽園は砕け散るのだよ。きゃつらによって粉々にね。込み上げてくる笑いを堪え、パジャマの胸ポケットから耳栓を抓み出し、耳穴にぎゅうと押し詰める。準備は万端だ。

十二と秒針の間隔が刻々と狭まる。
三……二……一。

ダダダン ダダダン ダダ ダダ ダダ ダダン!

ボジラのテーマ曲が三重奏となり部屋中に轟く。予想以上の音量に、バスケット選手に頭をつかまれドリブルされているように視界が揺さ振られる。三体の咆哮が耳栓をものともせず劈く。敷布団から膝へと地鳴に似た振動がつたった。眉を顰(しか)めながら愛子の慌てふためく姿をしかと目に焼きつけねばと瞼を見開いた。

彼女は眠ったまま手刀を繰り出し、スパパパンと三体同時に床へ沈める。
「まだ、だ」動じることなく、洋一は部屋の隅にアイコンタクトを送る。

時間差で起動するデスボロイヤーが雄叫びを上げつつ滑走する。愛子が寝返りつつ肘鉄を放つが、デスボロイヤーは巧みに避ける。彼女の肘鉄は何度も空振り、目が薄らと開いた。やった、と思ったのは束の間、デスボロイヤーは殴り飛ばされ壁にめり込んでいた。

「まだまだ」
最後の望みを託し、洋一は胸元からリモコンを取り出した。

ミョスラーや ミョスラ―や!

大音量の歌声を流しつつミョスラが飛来する。レバーをぐるぐるとまわして愛子の真上を旋回させると、呻きながら拳を振り上げてきた。負けじとレバーを押し倒す。ミョスラはぐいんと上昇し攻撃をかわす。さらに指先を震わせボタン連打し、だらしなく開いた口めがけてミョスラの尻から液体唐辛子を発射した。

愛子は顔を真っ赤にさせ、はっきりと開眼した。
「勝った!」洋一は手汗を握りながら歓喜する。

が、彼女の蛙飛びアッパーによってミョスラはアーチを描き、洋一の脳天に直撃した。直也に改造してもらったきゃつらとともに洋一は気を失った。

 

意識を取り戻すと、コブを撫でながら「おはよう」と言った。台所に立っていた愛子はフライパン片手に「おはよう。今日は珍しく寝坊じゃない」と笑う。
「寝坊じゃないよ。キミのアッパーで……まあ、いいや」

「もうお弁当もできてるしパーペキ。あ、靴箱に置いてあるから忘れないでね」
「ありがとう。しかしいつまで続くやら」
「なによもう。一言多いのよ」

テレビの電源をつけると、「ニッポンの朝、ニッポンの朝」と念じながら洋一は目を瞑る。愛子は愛子で「モーニングヤード、モーニングヤード」と神頼みする。チャンネルを押し、瞼を開くと画面は真っ暗だった。首を傾げよくよく見ると右上にビデオと表示されている。

「しまった。ビデオ入力を押してしまったんだ」
残念がる洋一に「いいじゃん、たまには」と言いながら愛子は食卓に朝食を並べる。
「そうだね」洋一は腰を掛けた。

朝食はトーストにお好み焼きだった。
「いただきます」洋一は手を合わせ食べ始めた。「どうして朝からお好み焼きなんだい。これでは胃がもたれてしまうよ。それに組み合わせおかしいだろうに。お好み焼きは主食ではなかろうか。いや、百歩譲って副食だとしよう。しかしどうしてトーストなんだ。せめて白米。そう思わないかい?」

「もう、うっさいわね。さっさと食べなきゃ遅刻するわよ」すでに食べ終えた彼女は皿を流し台へと運んでいた。
「キミはもっとゆっくりと咀嚼した方がいい。消化に悪い」
愛子の眉が捻じ曲がる。言い過ぎたかと少々反省していると、彼女は慌ててトイレへ駆け込んだ。

ブヴォッ!

激しい爆発音が響き、出てきた彼女は額をぬぐいながらまるで一仕事終えたかのすがすがしい表情だった。
「音が洩れているよ。放屁する時はトイレの水を流しながらするといい」
「あのねえ。トイレの水くらいであたしのオナラが掻き消せると思ってんの? 見くびらないでほしいわ」と愛子は胸を張った。

「誇らしげに言うことではないね。そうだ、肛門を押し広げてみてはどうだい? 臭いはともかく音は解消されるだろう」
「スカシッペするのは卑怯者がやることだってヒロシも言ってるわ」
「誰だい。ヒロシって」
「ヒロシは父ヒロシよ。あっ、もう時間」

時計は八時をまわっていた。急いで身支度を整えると洋一は玄関を飛び出した。階段を途中まで降りたところで慌てて引き返した。
「どうしたの?」玄関口にいた愛子は目をぱちくりとさせた。
「忘れていた」彼女を見つめて言った。「いってきます」
照れ笑いを浮かべ、「いってらっしゃい」と彼女は頷いた。

自転車を走らせ振り向くと、彼女は階段の踊り場で両手を振っていた。何やら叫ぶその様子は、何年もの単身赴任を見送るかのようで胸が熱くなった。戻ってやりたいと思いつつも時間の余裕はなかった。
「許しておくれ。今日も支援を必要とする利用者が待っている。時に非情にならねばならぬのだ」
洋一はひとり呟き、ペダルをこいだ。

 

出勤すると、すでに四谷所長と一ノ瀬は業務にとりかかっていた。洋一が遅刻寸前にも関わらず美加の姿はない。挨拶を交わし「六本木さん、体調でも悪いのですか」と一ノ瀬に訊ねる。
「着てく服に迷っちゃって遅れるってさっき連絡あったわ」

二人で呆れていると四谷所長が書類を差し出した。「影沼くんと野山さんのプラン作っといたから印鑑押しといて」
自己作成していた恋愛支援計画、今は四谷所長が立ててくれている。愛子との同棲を再開してから自ら願い出た。つまり彼が洋一の恋愛支援専門員だった。

ナメクジが這うように一字一句じっくりと読む。「これでは前回と全く同じですね」
「特に変わりないんだしいいじゃないかな」
「なにをおっしゃる! 彼女の目標である『朝ごはんを作るため、早起きする』は、ほぼ達成できています。そりゃあ、今朝はトーストにお好み焼きという奇想天外な組み合わせでしたけどね。我々は日々努力しているのですからしっかりと計画に反映させてくださいよ」

「くわばら、くわばら。影沼くんはスパルタだね。これだと研修生も根を上げちゃうよ」
「研修生? 来るのですか」
初耳だった。

一ノ瀬は知っていたようで、にんまりと頬を上げる。「今日から研修生が来るの。ちなみに担当はヨウくんよ」
「ええ! 僕が指導するんですか。急に言われても困ります」
「いやあ、その方がおもしろいかなって」四谷所長はしれっと言ってのけた。
「無茶苦茶だ」
「影沼くんなら大丈夫。そろそろ来ると思うんだけどな」

がらりと戸が開いた。現れた女性に一同釘づけとなった。髪が隠れるほど巨大なリボンにパラソルみたいに広がったフリルのスカート。レースの手袋でピースしながらウィンクを飛ばした。「おはよウサギ! 今日もよろぴくね」
「これはまた……ものすごい研修生ですね」

不安感でいっぱいの洋一に一ノ瀬が耳打ちする。「よく顔見なさいよ。ミカちゃんじゃない。きっとまた新しい彼氏ができたのね」
ズコッと前のめりになる洋一を美加が支える。「だいじょうぶぅ? 影沼きゅん」
「キャラクターが完全に崩壊しているじゃないですか」

四谷所長は渋々言う。「今の流行かね。若い者のファッションに口出すつもりはないが遅刻は注意したまえよ」
「いやいや服装も注意すべきです」洋一はずり落ちる眼鏡を直す。
「ハンセーしてるから怒んないでね、てへぺろ」美加は上唇に舌をひっかけた。「あ、そういえばね、ポストに葉書入ってたよ」

受け取ると差出人は濱崎だった。あれからというもの旅行先での写真を葉書にして送ってくれる。
「また伊豆に行ったんだ」一ノ瀬が覗き込んできた。「それにしてもずいぶんと仲良しね」
「本当に」伊豆の白浜を背景に仲睦まじく寄り添う二人を見つめながら洋一は目尻に皺を刻ませた。

濱崎と妻の弘子は冷静になり、互いの気持ちを包み隠すことなく打ち明けた。彼女は離れること以外何も望んでいない、話し合いを重ねるほどそれは明白となった。彼は深く落ち込み深く悩んだ。そして離婚を承諾した。きっと彼女を愛していたからだろう。

ある日、洋一宛てに葉書が届いた。そこには大学生になる娘のことがふれられており、妻だけでなく彼女に対しても何もしてこなかったことを悔やみ伊豆旅行へと誘ったとあった。そして、かけがえのない家族がいることを気づかせてくれたのは洋一の言葉があったからだとの感謝の意がつづられていた。
幼い頃もっと父親に甘えたかったのかもしれない。幸せそうに微笑む濱崎の娘を見ているとそう思えてならなかった。

「おお、入って来てくれたまえ」
四谷所長の呼びかけに顔を上げると、スーツ姿の女性が入口に佇んでいた。彼女を見て洋一は仰天した。
「研修生の花岡くんだ」

「花岡百永美です。よろしくおねがいします」彼女は持っていたバックを両膝にあて頭を下げる。
「花岡くんはここ美鷹恋愛支援センターでの研修を強く希望してね。指導は影沼くん。お互い知った間柄だし詳しい紹介は割愛させてもらうよ」
慌てふためいているのは洋一だけで三人はふくみ笑いを浮かべている。

すると電話が鳴り、応対した美加が受話器を手渡してきた。
『もうわたしやってけない!』
夏樹だった。すぐさま受話器の奥から『おい! とにかく包丁を離すんだ』と浩介の怒鳴り声が伝わってきた。

「大空さん落ち着いてください」
『やめ……あぶ』『なにす……』
二人の喚き声が入り乱れ、電話はぷつりと切れた。

百永美は電話の内容を察してか、指示を待ち構えていた。
「行きますよ」
「はい!」
事務所を出ると洋一の自転車に並び、もう一台あった。彼女はそれに跨ると、ぐっと顎を引いた。

 

夏樹の部屋に上がり込むと、案の定二人は和やかな雰囲気でケーキを囲んでいた。毎度のことであったが洋一は胸を撫でおろす。百永美は拍子抜けしていた。

事の発端はこうだ。
ホールケーキを焼いた夏樹は結婚式のケーキカットの練習をしないかともちかけた。断る浩介に彼女は結婚する意思がないからだろうと詰め寄った。ケーキ入刀は初めての共同作業であり練習したら初めてでなくなるというのが彼の言い分だった。そのような説明では納得いかない、いつも口ばかりでいつまで経ってもプロポーズしてくれないと夏樹は憤慨し、浩介は浩介でプロポーズはせかされてするものじゃないと反論する。そういった具合に話はこじれた、そうな。

結局、目の前にあるケーキは二人で切り、本番は和装で酒樽の鏡開きをすることに話はまとまっていた。
「どのみち誰も初めての共同作業なんて思わないわよ」ピアスをいじりながら夏樹が言った。
「どうひう、ほとだよ」浩介は口いっぱいにケーキを頬張っていた。

「まだ話してないんですか?」
差し出されたケーキを一口ついばみながら百永美は夏樹に訊ねた。照れ笑いを浮かべ頷く夏樹に男性陣は首を傾げる。
夏樹は下腹にふれ、語りかけた。「パパ、鈍感ね」
消火器のようにケーキを噴き出して浩介は噎せる。彼の背を摩りながら洋一は渋い顔をした。

「新たな生命を宿されたのですね。これは大変なことになりましたよ。二十代前半に出産する場合、三十代以降に比べ離婚率が六倍との統計があります。さらに僕には妊婦を支援した経験がありませんからね」洋一は眼鏡をくいっと上げた。「けれども! ご安心ください。担当するからには全力で支援させていただきます。なにせ、お二人だけではなく、これから産まれくる赤子の運命もかかっていますからね。ああ、事務所に戻ったら早急にラブプランを練り直さなければなりませんね。いっそう忙しくなりそうだ……おっと、言いそびれるところでした。おめでとうございます」

ガチャン、と陶器がぶつかり合う音が会話を遮った。卓袱台には浩介の拳がある。
「なにがおめでたいもんか!」
予期せぬ彼の言葉に夏樹の表情が固まる。
「どうされたのですか?」洋一は訊ねた。
「悔しいんだよ、ちくしょう」

そう肩を落としながら立ち上がると、飾られていたフィギュアへと手を伸ばす。直也から親友の証にと譲り受けたシッダ・ルッソのフィギュアだ。懐から何やら取り出し、夏樹に突きつけた。
それは署名済みの婚姻届だった。

「オレと結婚してくれ」彼は勢い余って卓袱台に頭突きした。「実はな、ナツを驚かせようとサプライズでこっそり準備していたんだ。台無しになってしまったけどな」
夏樹は瞳を潤ませ、「そんなことない」と彼を抱擁する。
洋一と百永美は拍手を送っていた。

夏樹はシッダ・ルッソのフィギュアを眺め、何気なく言った。
「結婚式といえば、ナオヤンと舞ちんの披露宴に呼ばれたの」
招待されなかった洋一は内心のショックを隠しきれない。「そうなのですね」そう言うのがやっとだった。保険が効くよう式場の段取はしたものの、直也の口から詳しいことは語られなかったし、洋一も無意味な意地を張り詮索しなかった。

「そしたらビックリ! あのヨッパライが参席してるじゃないの。舞ちんに問い質してみてこれまたビックリ! なんとヨッパライの正体は舞ちんのラブマネだったのよ。舞ちんがナオヤンに近づきたくてでっち上げてたのよ」
「なんでも電車で年寄りに席を譲ってるの見て一目惚れしたらしいぜ」

二人の興奮には同調し難かった。
「しかしながら中谷さんの理想は優しくて強い人でしょう。優しいはわかりますけど強いっていうのはどうも腑に落ちませんね」

二人はチチチと人差指を振った。
「それがね。ナオヤン脱いだらすごいのよ。超ムッキムキのバッキバキ」
「オレは薄々感づいていたがな。いつもリュック背負ってたろう、あれ数十キロあったんだぜ。常にバーベル担いで行動していたようなもんだ」

「舞ちん、身体つきや仕草でピンときたんだって。本格的に武術を取り組めばとんでもなく伸びるって。で、舞ちんの勧めで実家の功夫道場に通い始めたわけ」
「そしたらよ、本当に才能があったんだな。今じゃ中谷道場を受け継ぎ、かの有名な功夫家にちなんで、ナオ・ヤン・チンポーとして道場を切り盛りしてるんだぜ」

「名前が卑猥です」洋一は溜息交じりで言った。
「そんな小さいことどうだっていいじゃねえか。とにかくあのナオヤンががんばってるんだ。ヌマッチは嬉しくないのかよ」
「いや、そんなことはないですが……」

「でもなんだか寂しそうですね」百永美は心配そうに目を向けた。
「嬉しいですよ、ただ」言葉を詰らせうつむいた。「ただね、僕は山田さんのことを全然知らなかった。これでは恋愛支援専門員失格ですね」

夏樹は気落ちする洋一の肩に手をやった。「そう思うのも無理ないよね。ナオヤンが告ってオーケーだった時、一番喜んでたもんね。でもしょげないでよ。ヌマッチはわたしたちができないことやってくれんじゃん。ハートゲッツ大作戦がなかったら二人は結ばれなかったんだし、ナオヤンもヌマッチのおかげで式代が安くなったって小躍りしてたよ」

「なんだか励まされてしまいましたね。そうですね……恋愛保険制度のなかった時代は身近な友人に相談したり、協力してもらって乗り越えてきたんです。それが本来の姿なのかもしれません」
洋一が頬を緩ませると、それにつられ三人は笑顔で頷いた。

 

「これから事務所に戻るんですか?」
アパートを後にしたところで百永美が訊ねてきた。
「いいえ、昼前に一件面談を予定しています」
そのまま二人は猪頭公園へ向かった。園内では数人の幼児がはしゃぎ、少し離れた木陰で母親が見守っていた。

百永美はきょろきょろと辺りを見渡した。「さっきは急だったから感じる間もなかったけど、なんだかドキドキしてきました」
「とって喰われるわけじゃありませんからご安心を。それに緊張しているのは僕も同じですよ。新規ですので本日初めてお会いするのです」

名前は呂田花恋ろたかれん。それ以上の情報はない。先日電話があったのだが、待ち合わせの日時と場所を指定するや一方的に切られてしまったからだ。

腕時計を確認すると、もうすぐ約束の時間だった。園内にはそれと思しき女性は見あたらない。親子の他にいるのはシーソーにぽつんと座る眼鏡をかけた少女一人だけだった。シーソーをこぐわけではなく置物のようにただジッと前を見据えている。黄色い帽子にランドセルを背負っているので小学生に違いない。こんな平日に学校へ行かず何をしているのだろうと思っていると、目が合ってしまった。

少女はシーソーから降りると、軍人行進のように、こちらへとまっすぐ歩み寄ってくる。「こんにちは。あなたが美鷹恋愛支援センターの方かしら」
洋一が頷くと彼女は呂田花恋と名のった。状況がのみ込めずたじろぐ百永美を余所に洋一はさっと名刺を差し出した。

呂田は満足気に受け取るや「わたくし、お慕いしている殿方がおります。そこで恋愛保険の申請をお願いしたいの」とさっそく本題を切り出した。
「失礼ですが拝見するにあなたまだ小学生だ。保険適用は十四歳からと法律で規定されている。そもそも平日の昼間、学業はよろしいのでしょうか」

「ご心配なさらずとも、将来のため大切な会合があると担当教諭はしっかりと説き伏せて来ましたわ。それに適用年齢の件も存じ上げています。わたくしは二年後に向けての申請手続き及び恋愛計画立案を検討していきたいの。今から、じっくりと。恋愛支援専門員さんとね」
彼女は眼鏡をくいっと上げた。

 

呂田と別れ、事務所への帰路の途中で百永美はようやく口を開いた。彼女との遣り取りがよほど衝撃的だったようで、しばらく放心状態で自転車のペダルをこいでいた。

「十二歳ですよね。そんな年から恋人がいるものなんですか」
「僕にとっては初めてのケースですが珍しいことではありません。とくに女性の場合、第二次性徴は七歳から十二歳の間に発現するといわれます。異性を意識し始めるのはもっと早い。そう考えると呂田さんが早熟というわけでは決してないのです。まあ、あの年齢で二年後を見据えているのは少々驚きましたが」

百永美はやや納得いかない様子であった。
「たとえ交際していなくても恋愛相談にのることは我々の業務の一環です」
洋一がそう言うと、彼女は難問を突きつけられたように頭を捻る。「でもそんなのにいちいちと付き合ってたらキリないですよ。私もそうだったんですけど、あの年代の子って頭の中の八割は恋愛のことですから」

「かといって、おざなりにすることはできませんよ。未成年が事務所に連絡するのは勇気が必要です。悩みがどんな些細なものにせよ当人にとっては地獄の苦しみを抱えているのです。それにインターネットにはいかがわしい画像が溢れ、簡単に異性の大人と繋がりを持つことができるこの時代に学校の教育で足り得るとは到底思えない。適切な性指導や妊娠の抑止といった側面も持ち合わせているのです。もちろん面白半分で相談してくることもあるでしょう。しかしそれはそれで結構ではないですか。個人的には地域に根づくパブリックスペースとなるべきだとも考えています。恋愛保険は社会に浸透してきています。これから新たな時代を迎えつつあるのですよ」
「勉強になります」そう頷く百永美の頬は薄紅色に染まっていた。

 

事務所に自転車をつけると、洋一は気になっていたことを訊ねてみた。
「あれから富樫さんとはどうなったのですか?」
「シェルターを出てしばらくの間は怖くて外出できませんでしたけど、今ではこうやって不自由なく生活できてますよ。これも四谷さんや警察の方々のおかげです。もちろん影沼さんも」

この一年間、怯えながら毎日暮らしていただろう。今だって再会する可能性は充分にある。不安でないわけがないのだ。
その思いを弾き飛ばすかのように「なにより私自身、彼への気持ちがなくなりましたから」とさっぱりした調子で言った。「でも念のため護身用に合気道でも習おうかなって思ってます」

「それなら功夫なんていかがでしょう。先ほど話していた中谷道場でしたら仲介しますよ」
「功夫! いいですね」彼女はバッグを振りまわした。「そうそう気づきました? 御守外したんですよ」
確かに見あたらなかった。

「恋が生まれるにはわずかな希望があればいい。果敢で、向こう見ずで、激しい性格と人生の不幸で豊かになった想像力があれば……希望はもっと小さくていい。スタンダールの言葉です」彼女はじっと力強いまなざしで洋一を見つめた。「運命は自分で切り開くことにしました」

百永美は強引に腕をからめ「私、まだ影沼さんのこと諦めてませんから」と頬を寄せる。
「こ、これ! おやめなさい。公衆ではしたない真似は……いや、先輩として慕われるのは光栄ですが、僕には」

「おかえんなさい、ラブマネさん」
ぎくりと洋一の背筋が凍る。事務所の入口で仁王立ちする愛子がいた。なぜ愛子がいるのだ。一体いつからいたのだ。

「忘れ物よ」
ぶん投げてきたので胸で受け止める。それは弁当だった。
「せっかく早起きして作ったのに忘れるは、お腹空かせてると届けてみりゃ女と乳繰り合ってるは、ずいぶんといい身分だこと!」
「いいか落ち着こう。話せばわかる。これは誤解だ」

「って! いつまでイチャついてんのよ」
なんと、まだ百永美が腕にしがみついているではないか。さらに騒ぎを聞きつけ、所内からみんなが駆けつけてきた。野次馬根性まるだしで目をキラキラとさせている。
「あなたが彼女さんですか? 私、影沼さんを振り向かせてみせますから覚悟しておいてくださいね」
「ちょっとどういうこと」

挑発的な百永美の態度に愛子はますます語気を荒げる。一体どう対処すれば良いのだ。舌を出す百永美、牙をむく愛子。これでは収拾がつきそうにない。

洋一は美加にすがりつく。
「あれあれ三角関係ですかあ? 影沼きゅんやるぅ」

洋一は四谷所長にすがりつく。
「影沼くん、何事も経験だよ」

洋一は一ノ瀬にすがりつく。
「んまあ! シ・ゲ・キ・テ・キ」