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村上春樹『回転木馬のデッド・ヒート』全編のあらすじと考察

村上春樹『回転木馬のデッド・ヒート』全編のあらすじと考察
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こんにちは、宮比ひとしです。

本日は、村上春樹の短編集『回転木馬のデッド・ヒート』をご紹介します。

全作品すべての登場人物やあらすじを解説、考察していきます。

考察に関してはネタバレありのため、ご理解の上でお読み下さい。

 

『回転木馬のデッド・ヒート』

『回転木馬のデッド・ヒート』

 

作者…村上 春樹

 

ジャンル…ヒューマン、短編

 

ボリューム 

 

難易度 

 

『はじめに・回転木馬のデッド・ヒート』

はじめに・回転木馬のデッド・ヒート

 

『回転木馬のデッド・ヒート』は8編からなる短編小説です。

ただ、作者である村上春樹は本作を小説ではなくスケッチと称しました。

 

「小説と呼ぶにはいささか抵抗がある。本作に収められた文章は基本的に事実に即しており、多くの人から話を聞き、仕上げたものだ」と述べています。

始めは、長編にとりかかるためのウォーミングアップのつもりだったが、書き進めているうちに、話のひとつひとつが共通項をもっており、「話してもらいたがっている」という奇妙な体験をしたのです。

 

カーソン・マッカラーズの小説『心は孤独な狩人』に登場する唖(おし)の青年に例え、今まで聞いた様々な話を抱え込んで生きてきたと明かします。

青年は誰が何を話しても親切に耳を傾けますが、最後に命を絶つのです。

 

カーソン・マッカラーズ(Carson McCullers、本名:Lula Carson Smith)

1917年2月19日 - 1967年9月29日

エッセイや詩、小説、短編、戯曲を書いたアメリカの作家。

 

処女小説『心は孤独な狩人(The Heart is a Lonely Hunter)』は、アメリカ南部を舞台にして、社会に順応できない人間や排除された人間の魂の孤独を描いた作品。

 

他人の話を聞けば聞くほど、無力感に捉われていきます。

どこへも行けないという無力感の本質はメリーゴーラウンドに似ており、人は回転木馬の上で仮想の敵に向けて熾烈なデッドヒートを繰り広げているのです。

 

『レーダーホーゼン』

レーダーホーゼン

 

『レーダーホーゼン』登場人物、あらすじ、考察をまとめました。

 

『レーダーホーゼン』登場人物

 

話の聞き役であり、村上春樹自身(以下の登場人物説明では省略)

 

妻の友人

大柄なエレクトーン教師の女性

 

『レーダーホーゼン』あらすじ

 

僕の妻の同級生であるエレクトーン教師の女性は、大学2年のときに両親が離婚した。

半ズボンが原因で母は父を捨てたのだ。

半ズボンは正確にはレーダーホーゼン(ドイツ南部バイエルン州からオーストリアのチロル地方にかけての地域で男性が着用する民族衣装。肩紐付きの皮製の半ズボン)と言う。

 

母親が一人ドイツに旅行することとなり、父はお土産にレーダーホーゼンを頼んだ。

過去に父は浮気をしていたが、旅行の際には両親は比較的親密であった。

しかし、母親は離婚を決意し、そのまま家には戻らなかった……

 

中年の婦人がドイツに旅行し、夫から土産に所望された半ズボン――レーダーホーゼンを買う間に離婚を決意する、というストーリー。レーダーホーゼンを合わせるために探してきた夫とそっくりな体型のドイツ人を見ているうちに、夫に対する耐え難い嫌悪感が湧き起こってくる。

 

『レーダーホーゼン』考察

 

ドイツ旅行で、母親は夫への土産であるレーダーホーゼンを購入するために売店を訪れました。

夫と体型が似ている男性が寸法合せをしているのを見ているうちに、夫に対する耐えがたいほどの嫌悪感が体の芯から泡のように湧きおこってきたのです。

自分がどれほど激しく憎んでいるかということを知り、その三十分ほどの間に離婚を決意しました。

 

なぜ、母は離婚を決意したのでしょうか。

まず、五十五年の人生の中で、母にとって初めての一人旅だったという点です。

一人でドイツを旅する間、淋しさや退屈さを感じることはなく、長年使われることがなかった肉体で眠っていた様々な感情が芽生えています。

日本にいるとき大切にしてきた夫や娘、家庭から解き放たれているのです。

 

そして、嫌悪感のきっかけとなったレーダーホーゼンの寸法合わせ。

夫そっくりの体型である男性の下半身を眺めているうちに、性的なイメージを連想していたのです。

母親には過去に浮気された経験があり、娘も「女関係では比較的だらしのない人だった」と述べています。

比較的親密だったとありますが、嫌悪感は心の中に存在し、自覚もないまま抑圧し続けていたにすぎません。

旅行によって家庭を守ることから解放された感情と、寸法合わせによる性的なイメージの連想により耐え難い嫌悪感が湧きだし、離婚を決意したといえます。

 

親類の葬儀で顔を合わせるまでの約三年間、娘は母を許すことができなかったのですが、レーダーホーゼンの話を聞いたとき、憎み続けることができなくなったと語ります。

家庭を守るために抑圧し続けてきた嫌悪感に対して、共感できたことが理由として挙げられます。

妻の友人は独身であり、母に共感したからこそ、心から結婚したい気持ちになれず、エネルギーのほうき星の範囲内に含まれていないのです。

 

『タクシーに乗った男』

タクシーに乗った男

 

『タクシーに乗った男』登場人物、あらすじ、考察をまとめました。

 

『タクシーに乗った男』登場人物

 

トシコ

四十歳前後の画廊の女性オーナー

 

『タクシーに乗った男』あらすじ

 

画廊の女性オーナーであるトシコに「あなたがこれまでに目にしたなかで、いちばん衝撃的だった絵は何か」という質問を僕はした。

すると、トシコは「タクシーに乗った男」という題の絵の話を始めた。

 

1968年のこと。

トシコは、もともと画家になるつもりでアメリカ東部の美術大学に留学していたが、自分の才能に見切りをつけ、卒業後はニューヨークで絵のバイヤーの仕事を始めた。

当時は金銭的な余裕がなかったため、個人で絵を所有することはなかった。

しかし、例外的に自分のために買った絵が『タクシーに乗った男』である。

 

作者は二十七歳のチェコ・スロヴァキアの画家で、芸術的にも手法的にも優れているとは言えず、無名のまま消えていった人物。

二十九歳のトシコは、絵をアパートの壁に掛けて、タクシーの中に閉じこめられた男を毎日眺めて暮らした。

そして、十年近く前の1971年、トシコは日本に帰る決心をした時、絵に灯油をかけて焼く……

 

『タクシーに乗った男』考察

 

『タクシーに乗った男』は、画家という夢を叶えることができなかった挫折と、そんな人生を長年かけて受け入れる女性の物語です。

 

まず、『タクシーに乗った男』をチェコ・スロヴァキア人の画家から購入したトシコは、アパートの自室で毎日眺めて過ごしていました。

そんなトシコを見て夫は、タクシーの男に恋をしているのだろう、とからかいます。

しかし、恋でも、同情でも、共感でもなく、sympathyだとトシコは表現しました。

Sympathyとは、二人の人間が哀しみを分かち合うこと

つまり、絵の中の人物であるタクシーに乗った男を通して、トシコ自身が抱えていた哀しみを理解し、和らげていたのです。

 

それでは、一体どんな哀しみを抱えていたのでしょうか。

トシコは絵の男を眺めながら、自分自身が失ってしまった人生の一部だと感じていました。

自分が失ったものの大きさ、あるいは小ささを思い知らされるのです。

 

タクシーに乗った男のことを、凡庸なタクシーの中に永遠に閉じ込められ抜け出せなくて哀しんでいる、と表現します。

凡庸とは、優れた点がないことの意味です。

トシコは画家を目指してアメリカに留学したものの、才能に見切りをつけてバイヤーという仕事に就いたとあります。

 

作中では淡々とした様子で語られていますが、トシコの深い挫折が背景にあります。

画家志望だったトシコは留学するものの、自分よりも才能のある多くの人物や作品に触れ、平凡だったことを痛感します。

画家という夢を叶えることができなかったのです。

それにより、永遠に続くほどの哀しみを毎日感じていたと言えます。

 

自分自身が失ってしまった人生の一部とは画家としての未来あるいは希望のことを指します。

自分が失ったものの大きさとは画家という夢を諦めた深い哀しみ。

失ったものの小ささとは、挫折したものの絶望とまではいかなく、画家という夢はその程度のものだったということ。

大きくも小さくもあることは、そういった複雑な心境を表しているのでしょう。

 

『タクシーに乗った男』を灯油で燃やした後、トシコは偶然に男そっくりの人物に出会います。

簡単な会話を交わし、男は「よいご旅行を」と言って去ります。

しばらくして、何かが終わったことを感じとりました。

トシコは最後に「人生の多くの部分を失ってしまったけれど、これから先何かをそこから得ることができるはずだ」と語ります。

 

ここでは、永遠と思われた凡庸というタクシーに閉じ込められた男が抜け出せたことが暗示されています。

画才のなさから画家になれなかったという挫折は過去のものとなったのです。

画家ではない自分を受け入れ、残りの人生を生きていこうという決心の表れと言えるでしょう。

 

『プールサイド』

プールサイド

 

『プールサイド』登場人物、あらすじ、考察をまとめました。

 

『プールサイド』登場人物

 

35歳を人生の折り返し地点と定めた男性

 

『プールサイド』あらすじ

 

会員制のスポーツ・クラブのプールサイドで彼は話をする。

 

35 歳の誕生日を迎えた春、彼は人生の折りかえし点を曲がろうと決心した。

中学から大学卒業までの十年近くトップクラスの水泳選手として活躍したことが影響を与えている。

水泳は区切りが必要な競技だった。

人生にとって大事なのは、きちんとした形をとった認識である。

 

学業や仕事、家庭など、今までの人生において挫折なく、計画通りに生きてきた。

老化が始まったことを気にかけてからは、歯の治療やダイエット、適度な運動に計画的な食事、そして恋人を作った。

 

彼は前半の人生で求めた多くのものを手に入れた。

これ以上何を求めればいいのか分からなかった。

ラジオからビリー・ジョエルの「閉鎖された鉄工所についての唄」と「ヴェトナム戦争についての唄」が流れ、妻はアイロンをかけている。

なにひとつ申し分ないが、気がつくと彼は泣いていた……

 

『プールサイド』考察

 

35歳を人生のターニングポイントと定め、残りの人生について考える男性の話。

 

前半の人生において、彼は一般人に比べ多くのものを手にしています。

やりがいのある仕事、高い年収、幸せな家庭、若い恋人、頑丈な体。

なにひとつ申し分ないに関わらず、涙が溢れてきます。

 

どうして泣いてしまったのでしょうか。

年老いることは恐怖でも苦痛でもない、と彼は言います。

一番の問題は、きちんと直面して闘うことができない漠然としたものであり、名状しがたい把握不能の何かが潜んでいると表現しました。

 

彼は目標のない人生または死に向かっていく意識について恐れているのです。

今まで学業や仕事、結婚といった目標に向かって突き進んできた人生を歩んできました。

多くの成功をおさめました。

 

しかし、ターニングポイントを迎えた今、目標という立ち向かうべき相手の正体を見失っているのです。

名状しがたい把握不能の何かとは、老化ではなく、死へ向かっていく意識そのもの。

目標がなく、死への意識が彼を恐れさせています。

 

また、涙するときに流れていたのが、ビリー・ジョエルの唄です。

 

ビリー・ジョエル(Billy Joel)

1949年5月9日-

アメリカ・ニューヨーク州サウス・ブロンクス出身

歌手、ピアニスト、作曲家

 

『ナイロン・カーテン』(The Nylon Curtain)

「アレンタウン」と「グッドナイト・サイゴン〜英雄達の鎮魂歌」を収録したLP。

 

『アレンタウン』(Allentown)

ペンシルベニア州の工業都市であるアレンタウンに住む人々が不況の中でも懸命に生きる様子を描いた曲。

 

『グッドナイト・サイゴン〜英雄達の鎮魂歌』(Goodnight Saigon)

ヴェトナム戦争に出兵したアメリカ海兵隊による同志的連帯を強調した歌

 

人生の前半を終えたことを自覚した彼は、ラジオから流れるビリー・ジョエルの『アレンタウン』と『グッドナイト・サイゴン〜英雄達の鎮魂歌』の歌を、典型的な日曜日の朝のBGMとして聞き流しました。

上記にあるように、二つの歌は不況や戦争の中でも懸命に生きることを歌っています。

多くのものを手に入れた彼にとって、懸命に生きるという意識は喪失し、日常のBGMとして受け入れることができていることが示唆されているのです。

 

その後、彼はビリー・ジョエルのLPを買います。

妻は驚いて「どうしてビリー・ジョエルのLPなんて買う気になったの?」と尋ねます。

これについては作中で明言されませんが、懸命に生きたいという嘱望の表れと言えるでしょう。

 

村上春樹はそんな彼の話を聞き終え「プールは少しずつプールとしての現実感を失いつつあるように僕には感じられた」としています。

つまり、彼の人生が生きるという現実から乖離されてしまったことを表しているのです。

 

『今は亡き王女のための』

今は亡き王女のために

 

『今は亡き王女のための』登場人物、あらすじ、考察をまとめました。

 

『今は亡き王女のための』登場人物

 

彼女

大事に育てられた美しい少女

 

彼女の夫

レコード会社でディレクターを務める男性

 

『今は亡き王女のための』あらすじ

 

大事に育てあげられ、その結果とりかえしがつかなくなるまでスポイルされた美しい少女。

彼女は他人の気持ちを傷つけることが天才的に上手かった。

 

二十一か二だった当時の僕は、彼女の性向をずいぶん不愉快に感じていたが、今にして思えば習慣的に人を傷つけることによって、自分自身をもまた同様に傷つけていたのだろうという気がする。

だから、彼女よりずっと強い立場にいる誰かが、 彼女の体のどこかを要領よく切り開いて、そのエゴを放出してやれば、彼女もずっと楽になっただろう。

彼女もやはり救いを求めていたはずなのだ。

 

それから、十二年か十三年が過ぎ去った。

ふとした偶然に彼女の夫と会って話をしたことがある。

話の中で、結婚して三年後にできた子供が、生まれて五カ月で亡くなったことを打ち明けた……

 

『今は亡き王女のための』考察

 

大切に育てられ、自分自身のために生きていた彼女が、子供を亡くしたことで様変わりしてしまう話です。

 

美しく、賢く、才能のあった彼女は、常に周りからチヤホヤとされていました。

相手のウイークポイントを瞬時にかぎつけ、言い負かす様は血なまぐさい虐殺のようだったけれど、魅力と感じる者もいたのです。

村上春樹は、三人の男をあしらっている様子を一座のクイーンと表現しています。

 

つまり、タイトルにある今は亡き王女とは、冒頭にある大事に育てあげられ、その結果とりかえしのつかなくなるまでスポイルされた美しい少女を指しています。

スポイルとは、台無しになるという意味。

 

スポイルされてしまった原因は、周りの大人たちにあるとしています。

大人の成熟し、屈曲した様々な種類の感情の放射から子供を守る責任を誰が引き受けるか、という点が重要だと述べます。

大人は怒ったり嫌な気持ちになったとしても、笑顔や冗談を言ってやり過ごします。

本来は嫌われても、注意や叱らなければいけない責任を持った大人が周りにいるのですが、彼女にはいなかったため、まるで王女のように振る舞い続けてしまったのです。

 

そんな彼女でしたが、十二年か十三年後に偶然出会った夫によると、今会ったとしても見分けがつかない、と言います。

理由は、二人の子どもが亡くなったからでした。

生まれて五ヶ月の子供が寝がえりを打ったときに、敷布が顔にからまって窒息したのです。

夫は誰にでも起こりえる事故だと考えますが、彼女は違いました。

今まで大事に扱われ、感情の訓練を一度も受けたことがない彼女は、あまりにも無防備だったのです。

 

彼女の夫は子供を亡くす痛みを理解したうえで、それでも大事なのは後に残された生きてる人間だと話します。

夫は彼女を愛しており、彼女自身や自分や周りの人を傷つけたとしても手放す気はない、と夫婦の愛情を示します。

 

また、こうも語ります。

人の生は、誰かの死のもたらすエネルギー(あるいは欠損感)によって規定されていると感じる。

『ノルウェイの森』では、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」という節があり、同様の解釈ができます。

生と死は完全に分離しているのではなく、他の誰かの死によって生き方が定められているのです。

 

ちなみに『今は亡き王女のための』というタイトルは、フランスの作曲家モーリス・ラヴェル『亡き王女のためのパヴァーヌ』から取ったものとされます。

 

亡き王女のためのパヴァーヌ』(フランス語: Pavane pour une infante défunte

1899年、フランスの作曲家モーリス・ラヴェルが作曲したピアノ曲、および1910年に編曲した管弦楽曲。

パヴァーヌとは、16~17世紀にかけてヨーロッパの宮廷で流行った舞踏のこと。

 

『嘔吐1979』

嘔吐1979

 

『嘔吐1979』登場人物、あらすじ、考察をまとめました。

 

『嘔吐1979』登場人物

 

嘔吐に悩む27歳のイラストレーターの男性

 

『嘔吐1979』あらすじ

 

一度だけ僕と組んで雑誌の仕事をしたことがある27歳のイラストレーターの彼。

彼は友達の恋人や妻と寝ることが好きだった。

 

ある日を境にして吐き気に悩まされることとなる。

毎日の日記を習慣としていたため、吐き気が1979年6月4日(晴)に始まり、同年7月14日(くもり)に終わったと正確な日付けを引用できた。

さらに不思議なことは、彼一人のときにだけ電話がかかってきて、受話器を取ると、男の声で彼の名前を告げて切れる、ということが繰り返されたことだった。

そして、64キロあった彼の体重が58キロになった頃、7月14日を最後に電話は止んだ……

 

『嘔吐1979』考察

 

友達の恋人や妻とセックスすることが好きな彼が1979年6月4日から40日もの間、嘔吐と不思議な電話に悩まされる話です。

 

まず、嘔吐が意味することはなにか。

これについては、自分自身の生き方に対する嫌悪感や違和感を意味しているものと考えられます。

 

嘔吐という行為は、胃や腸の食べ物が食道を経て、口から吐き出される現象。

胃の中の異物や刺激物、毒物を吐き出す一種の防御反応と言えます。

ただ、彼の場合は単純に食べ物を吐き出そうとしているわけではありません。

彼にとって生理的に受け入れられない何かを嘔吐をもって吐き出そうとしています。

詳しくは後述しますが、その正体こそ自分自身の生き方に対する嫌悪感や違和感なのです。

 

次に不思議な電話が毎日かかってきたのはどうしてか。

電話の原因は、彼が友だちの恋人や奥さんと寝るという行為を繰り返していたためでしょう。

 

「寝取るという屈折した思いはない。彼女たちと寝ると親しい気分になれる」

ばれなければ誰も傷つけない、と豪語する彼。

そんな彼に、僕はまともな恋人を見つけることを勧めます。

しかし、吐き気とかいたずら電話といった理不尽なものに降参して、自分の生き方を簡単に変更するような負け方は我慢ならない。とにかく体力と精神力の最後の一滴がしぼりとられるまで闘ってやろうと決心した、と言います。

 

特定の恋人を作ることで吐き気がおさまることが示唆されています。

つまり、僕だけでなく彼自身も、電話の原因が友達の恋人と寝る行為に、少なからず起因すると勘づいている解釈ができます。

 

それでは、電話をかけてきたのは誰なのか。

彼は電話の声に対して聞き覚えはないと断言しますが、作中で示されている可能性としては罪悪感があります。

罪悪感が幻聴となって結像したもの。つまりは、彼自身の心の声です。

そう考えると、嘔吐の意味する自分自身の生き方に対する嫌悪感や違和感とリンクし、電話は無意識のうちに罪悪感を抱えた彼自身からの忠告と解釈ができます。

 

しかし、彼女との関係を絶っていないにも関わらず、電話が止んだのは辻褄が合わないと彼は反論します。

そんな彼に対して「何を学び、もう一度起きた場合どうするか」と僕は言います。

彼が今の生き方を続ける限り、再び起こりうる可能性が示唆されていると考えられるでしょう。

 

『雨やどり』

雨やどり

 

『雨やどり』登場人物、あらすじ、考察をまとめました。

 

『雨やどり』登場人物

 

彼女

お金をもらって複数の男性と寝た女性

 

『雨やどり』あらすじ

 

僕は渋谷で仕事を済ませ、散歩していた途中、突然の雨に降られレストラン・バーのような店に避難した。

そこで再会したのは、最初の小説を出した五年近く前にインタビューを受けた女性編集者だった。

 

彼女が辞めたのは二年前の春で、当時付き合っていた恋人とも別れることとなった。

男は同じ編集部同士で、彼女より十歳上、結婚しており子供も二人いる。

手掛けていた雑誌のスクラップが決定し、男は副編集長に抜擢され、彼女は人事異動により総務課に回された。

彼女は自分を同じ部署に引っ張ってほしいと恋人に頼んだが、男は自分のことで頭がいっぱいで彼女のために指一本動かすつもりはなかった。

 

その翌日、辞表を会社に提出した。

彼女は休暇中にジャズ・クラブで一人飲んでいると、男性に声をかけられて会話した。

「わたしは高いのよ」

自分でも理解できないが、自然に口に出していた……

 

『雨やどり』考察

 

かつて恋人に助けてもらえず復讐心を抱えた女性の話です。

休職中の一ヶ月、彼女はどうしてお金をもらって複数の男性と寝たのか考察します。

 

熱意を持って務めていた雑誌が潰れ、それに伴って彼女は総務課に人事異動となりました。

副編集長となった恋人に編集部に移れるよう頼むものの、今は発言権がないからと断られます。

恋人は一年か二年我慢すれば引っ張ってあげられると言うが、彼女は信用できませんでした。

既婚者である恋人は、自分の立場が悪くなることを怯えていたのです。

 

辞表を出した彼女は、五人の中年男性を相手にお金をもらって寝ました。

最初の男である獣医に対して「私は高いのよ」と自然に口を開いたことがきっかけとなっています。

そして、彼女は相手の顔を見て直感的に金額を指定します。

金額は、一番高いので八万円、安くて四万円とバラバラでした。

金額を言って断られたことは一度もなかったとも言います。

 

一般的に売春に当たるこの行為は、男性が女性を品定めし金額を提示しますが、彼女の場合は違います。

自分自身に値段を付けているわけではなく、相手を見て数字を定めているのです。

それは、恋人に裏切られた復讐心が心の底にあると考えられるからです。

外見や振る舞いから男の社会的地位や経済力を彼女が品定めしています。

 

また再会した時点では、すでに過去の出来事として話す様子から、男への復讐心は失われたように感じられます。

 

ちなみに、『雨やどり』のタイトルはダブルミーニングとなっており、「突然の雨に降られた僕が表参道の店に駆け込んで雨が止むのを待つ」という意味と、「大手出版社を退職した彼女が一ヶ月間仕事を休んだ休暇」という意味が込められています。

 

『野球場』

野球場

 

『野球場』登場人物、あらすじ、考察をまとめました。

 

『野球場』登場人物

 

大学時代に野球場の隣に住んでいた男性

 

『野球場』あらすじ

 

ある日、批評してほしいとの手紙を添えた小説が僕の元に届いた。

魅力的な字に惹かれた僕は小説の原稿を読むことにする。

 

シンガポールを旅行した青年と恋人が、レストランで蟹料理をたらふく食べるがホテルに戻ったところで吐き出してしまう。

便所の水に浮いた肉の塊から、白い微小な虫が動いて見えた。

その夜に月明かりに照らされた恋人の体を見ながら、その中でうごめいている虫について考える、と言った内容だった。

 

短い手紙を送って一週間後、彼から批評のお礼に食事に誘われることとなった。

二十五歳の銀行員である彼は、小説の内容は実話であり、奇妙な出来事を頻繁に体験することを打ち明ける。

僕の求めに応じて、彼は野球場の話を始めた。

それは大学時代に野球場の隣に移り住み、夢中になっていた女の子の部屋を覗き見するというものだった……

 

『野球場』考察

 

好きな女の子を覗き見することにより自己発見する話。

 

彼は現実から少しずれたような奇妙な出来事をよく体験することから小説を書くことにしました。

シンガポールで蟹料理を食べ、その嘔吐物から白い虫の群れを見つけるという物語です。

これについては、2009 年に新潮社から出版された『めくらやなぎと眠る女 TWENTY-FOUR STORIES』に、彼が送ってきた小説と同内容のものが、『蟹』というタイトルで作品化されています。

 

興味を示した村上春樹が他に話を聞かせてほしいと申し出ると、彼は大学時代にあった野球場の隣に住んでいたときの話を始めました。

当時、夢中になっていた女の子の部屋を覗くため移り住み、過ごす様子をカメラと望遠レンズで眺め続けます。

女の子の生活ぶりや体を拡大してみることはグロテスクであり、哀しく、息苦しさを感じます。

彼は止めようと決心したものの、目が不自由な人が眼鏡を手放せないように、レンズ越しの女の子がいない生活が耐えられなくなっていました。

 

そこで発見したのが、自分自身に潜んでいた暴力性でした。

学校にもクラブにも行かずに引きこもり、バイクや音楽、服装といった興味も失っていきます。

背徳行為が暴かれ、糾弾されることへの恐怖も芽生えました。

 

三ヶ月が過ぎた頃、女の子が実家の北海道に帰ったことで、彼は覗き見する日々から抜け出すことができました。

それにより彼は今までの自分を取り戻しますが、自分自身というものを信用できなくなっていました。

社会性を保っている自分と覗き見していた自分。

本当の自分はいったい何なのか、彼は悩みながらも自身の新しい面を発見するのです。

 

『ハンティング・ナイフ』

ハンティング・ナイフ

 

『ハンティング・ナイフ』登場人物、あらすじ、考察をまとめました。

 

『ハンティング・ナイフ』登場人物

 

車椅子に乗った青年

 

母親

青年の母親

 

『ハンティング・ナイフ』あらすじ

 

結婚して6年になる29歳の僕と妻は、軍用ヘリコプターの飛来を別にすれば、眠りこんでしまいそうなほど静かで平和な海岸のホテルに滞在していた。

僕が泊っているコテージ式のホテルの隣の部屋には、50代の母親と30近い車椅子に乗った息子が宿泊している。

 

ホテルを引き上げる前日、滞在中、毎日目にしていた二人の姿はなかった。

夜更けに激しい動悸で目が覚めた僕は、月が照らす庭に出ると車椅子の青年がいた。

会話を持ちかけると、今日は母親が神経の病気によって具合が悪く部屋で休んでいたと聞く。

 

すると、青年はポケットからハンティング・ナイフを取り出して見せてきた……

 

『ハンティング・ナイフ』考察

 

『ハンティング・ナイフ』は、足が動かない青年による自己否定の話です。

 

舞台となる名称は伏せられていますが「軍用ヘリコプターが飛び交い、海軍基地からやってきた一団のアメリカ人が椰子の木にロープを張って、ビーチバレーボールをやって遊んでいた」とあることから沖縄のリゾート地であることがうかがえます。

米国海軍基地のヘリコプターが飛び交っていても、リゾート地という静かで平和な場所であることを誰も疑うことなく受け入れています。

そこには、平和な日常の中に隠れた暴力性が潜んでいることを示唆していると言えるでしょう。

 

次に、青年がハンティング・ナイフを携帯する意味を考察します。

タイトルとなったハンティング・ナイフとは、狩猟するとき、獲物にとどめを刺したり、解体に用いる大型のナイフのことです。

 

ナイフという言葉は、作中に比喩表現としても使用されています。

太陽の下、僕が海岸を泳ぐシーンで、「椰子の木の葉かげの方に目をやると、ときどき青年の銀色のポットがナイフのようにきらりと光るのが見えた」という表現がされているのです。

また、滞在最後の晩の夜更け、青年の乗った「車椅子の金属がたっぷりと月光を吸い込んで、氷のような白さに光っていた。まるで夜のためにしつらえられた特殊な目的を持つ精密な金属機械に見え、車輪のスポークは異様に進化した獣の歯のように闇の中に不吉な光を放っていた」とあります。

これについては、太陽と月の光という対比によって、彼の二面性を示していると考えられます。

 

青年はハンティング・ナイフを取り出し、無性に欲しくなったと打ち明けます。

物語のラストで、こうも言います。

「頭の内側から記憶のやわらかな肉にむけてナイフが突きささっている夢を見る。いろいろなものがだんだん消え失せていって、あとにはナイフだけが白骨のように残る」

これは無意識のうちに潜んでいる暴力性と自己否定の想いが夢となって表現されていると考えられます。

つまり、青年自身の足が動かないことと、それによって母親の精神的な病が発症していることが起因していると推測できるのです。

 

『回転木馬のデッド・ヒート』作者

『回転木馬のデッド・ヒート』作者

 

村上 春樹(むらかみ はるき)

1949年1月12日-

日本、京都出身

小説家、文学翻訳家

 

早稲田大学在学中にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開く。

その後、経営しながら執筆した『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞しデビュー。

日本国外でも人気者で、現代アメリカでも大きな影響力をもつ作家の一人だと言われる。

翻訳も精力的に行い、スコット・フィッツジェラルド、レイモンド・カーヴァー、トルーマン・カポーティ、レイモンド・チャンドラーほか多数の作家の作品を訳している。

 

代表作…『風の歌を聴け』『ノルウェイの森』『1Q84』

 

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以上、村上春樹の短編集『回転木馬のデッド・ヒート』をご紹介しました。

最後までお読みいただきありがとうございます。

それでは、素敵なよりみちライフを。