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道尾秀介『月と蟹』鎌倉を旅行する時に読む小説

道尾秀介『月と蟹』鎌倉を旅行する時に読む小説
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こんにちは、宮比ひとしです。

本日は、道尾秀介『月と蟹』を、鎌倉を旅行する時に読む小説として紹介します。

 

鎌倉を旅行する時に読む小説

鎌倉を旅行する時に読む小説

 

小説の中には、現実に存在する地域を舞台にした物語がありますよね。

読んでいると何だか気になってきて調べてみたり、無性に舞台となった場所を訪れてみたくなったことないですか?

いわゆる、聖地巡礼ってやつですよね。

 

宮比は小説を読んだことがきっかけで、舞台となった場所に訪れたことが何度かあります。

実際に自分の足を運んでみると、物語の世界に入り込んだような錯覚を覚え、何ともいえない不思議な気持ちに包まれます。

小説という空想の世界が現実となって目の前に広がる感動は、他では味わえないものです。

主人公の気持ちになって散策してみたり、スポットで記念撮影したりと、楽しみ方も人それぞれ。

 

思えば、子供の頃にプレイしたスーパーファミコンのサウンドノベル『かまいたちの夜』が始まりだったと記憶しています。

かまいたちの夜

1994年にチュンソフトより発売されたスーパーファミコン用のゲームソフトで、『弟切草』に続く、サウンドノベルシリーズ第2弾。

真冬の雪山が舞台となり、豪雪によって隔離されたペンションで、次々に起こる殺人事件の謎を解く物語。

小説のようにして背景上に文章が表示され、所々に出現する選択肢を選ぶことで様々なストーリーに枝分かれしていきます。

 

『かまいたちの夜』は「シュプール」というペンションが舞台なのですが、当時ファンブックを読んでいて、長野県白馬村にある「クヌルプ」がモデルとなっていることを知りました。

もうね、胸がときめきましたね。

 

今回紹介する小説の舞台は、白馬ではなくて鎌倉と葉山。

鶴岡八幡宮を中心とした伝統的な鎌倉まつり、日本の渚・百選にも選ばれている美しい景色を誇る葉山を通して、二人の少年と少女の子供時代の終わりを描いた小説。

読み終えた後、三人の子供たちが目にした情景に、あなたも浸ってみたくなるかもしれません。

 

さて、そんな鎌倉を旅行する時に読む小説をおすすめします。

本日のよりみちブックはこちら。

 

『月と蟹』

 

作者…道尾 秀介

 

ジャンル…青春

 

ボリューム 

 

難易度 

 

『月と蟹』登場人物

『月と蟹』登場人物

 

『月と蟹』登場人物について解説します。

 

利根 慎一(とね しんいち)

小学五年生の男の子

 

富永 春也(とみなが はるや)

関西から転校してきたクラスメイトの少年

 

葉山 鳴海(はやま なるみ)

母親を事故で亡くした慎一のクラスメイトの少女

 

利根 昭三(とね しょうぞう)

漁船の事故により左足を失い、義足となった慎一の祖父

 

利根 政直(とね まさなお)

癌で亡くなった慎一の父親

 

利根 純江(とね すみえ)

慎一の母親

 

葉山 義文(はやま よしふみ)

鳴海の父親

 

『月と蟹』あらすじ

『月と蟹』あらすじ

 

鎌倉市の近郊にある海辺の町で、小学五年生の利根慎一と祖父の昭三、母の純江は暮らしていた。

二年前の夏に、父親の政直が働いていた東京の商事会社が倒産し、収入が途絶え、社宅を出なければならなくなったため引っ越したのだ。

その後、政直は癌で命を落とした。

 

慎一はクラスメイトから仲間外れにされている。

十年前の冬、しらす漁をしていた昭三の漁船と小型フェリーが衝突したことが原因だった。

海に投げ出され、昭三の足はスクリューによって切断するも一命を取り留める。

しかし、偶然に同乗していた大学の研究者である女性が亡くなり、慎一のクラスメイトの少女、葉山鳴海の母親だったからだ。

 

ある日、昭三に連れられて、慎一は鎌倉まつりに行く。

そこで静の舞の余興で踊っていた鳴海と父親に出会った。

鳴海の父親である義文こそ、海沿いの道で慎一の母である純江を車の助手席に乗せていた男だった。

 

鎌倉まつりから一夜明け、学校で嫌がらせの手紙が届いていた。

鳴海との関係を冷やかしたり、昭三の義足を嘲笑する内容であった。

慎一にとって、ただ一人、友達と呼べるクラスメイトは関西から転校してきた富永春也だった。

春也は気遣ってか、無視するよう助言する。

 

慎一と春也の二人は、放課後に海岸へ行き、凹んだ岩に捕まえたヤドカリを飼うことにした。

翌日、ヤドカリは一匹となっており、落ち着き払ったヤドカリの姿を見て、春也はヤドカミ様と名付ける。

ライターの火で炙り、手を合わせ、願い事を言うことにした。

すると、お金が欲しいと願った慎一は海岸で五百円玉を拾うのだった。

 

春也の情報から、手紙の送り主がクラスメイトの蒔岡だと推測する慎一。

今度は、ヤドカミ様に蒔岡が不幸になるように願うのだった……

 

『月と蟹』作者

『月と蟹』作者

 

道尾 秀介(みちお しゅうすけ

1975年5月19日-

兵庫県芦屋市出身

小説家、歌手

 

玉川大学農学部卒業後、住宅機器の企業に就職する。

1999年に『どうして犬は』で「小説現代」のショートショートコンテストに入選し、掲載。

2004年、『背の眼』でホラーサスペンス大賞特別賞を受賞し、小説家デビューとなる。

2007年に『シャドウ』で本格ミステリ大賞、2011年に『月と蟹』で直木賞と受賞。

エッセイや音楽活動などジャンルを超えた多彩な作品を手がけている。

また、ペンネームである道尾は、都筑道夫に由来する。

 

代表作…『向日葵の咲かない夏』『カラスの親指』『月と蟹』

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『月と蟹』旅行スポット

『月と蟹』旅行スポット

 

『月と蟹』の舞台となった旅行スポット「建長寺」「鎌倉まつり」「葉山」の項目に分けて紹介します。

以降、ネタバレが含まれているため、ご承知の上でお読みください。

 

建長寺

 

建長寺(けんちょうじ)

慎一と春也は、祖父の昭三に連れられて鎌倉まつりを見に行きます。

道中、昭三から聞いた建長寺に興味を示した二人は、『静の舞』までの空き時間を利用して向かいます。

鎌倉駅で江ノ電を降り、鶴岡八幡宮へとつづく、若宮大路を進む三人の額はすぐに汗ばんだ。

「建長寺さんの鐘はな、人の泣き声に似てるっつって、夜泣き鐘なんて呼ばれてたんだ。あの寺がある場所はーーあの山は、もともと刑場でな、罪人の首を斬るところだった。だから、死んだ罪人たちの泣き声が鐘の音になって聞こえてくるっつって、それがえらくおっかなくてよ」(『月と蟹』より)

 

建長寺は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院です。

鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺派の大本山であり、正式の名称は、巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)と言います。

1253年、北条時頼が建立した日本最初の禅寺。

 

法堂(はっとう)

法堂の天井には巨大な龍が描かれていて、どこに立っていても自分たちを睨み下ろしているように見えるのが怖かった。龍の下にはがりがりに痩せて腹のへこんだ人物の像があり、どうやらそれはお釈迦様が断食をしているところらしい。(『月と蟹』より)

 

法堂とは、住職が仏に代わって須弥壇上で説法するためのお堂です。

堂内中央奥に高さ2メートルを超える法座を設け、その奥に本尊千手観音坐像が安置されています。

天井画は小泉淳作筆の雲龍図。

 

半僧坊(はんそうぼう)

ほどなくしてたどり着いた半僧坊は、小ぶりの寺のような建物で、中には誰もいないらしく静まりかえっている。(『月と蟹』より)

 

半僧坊は、境内の山の中腹にある建長寺の鎮守で、半僧坊権現が祀られており、霊験あらたかで参詣者が絶えません。

半僧坊へ上る石段の途中に天狗の像があり、ここからは鎌倉市内、相模湾や富士山も眺望できる絶景のスポットです。

 

十王岩(じゅうおういわ)

緑色の苔がまばらに張りついたその岩には、たしかに三体の仏像が直接彫られていた。

包帯で巻かれて身体の線がなくなったミイラみたいに、単純な輪郭だけが浮き出して残っている。顔には花も口もなく、あるのは二つの目だけで、その目もただぽっかりと空いた穴でしかなかった。それなのに、その三体の仏像たちの目は、先ほど法堂の天井で見た龍の目よりもずっと油断なく自分たちを観察していいるように思えた。(『月と蟹』より)

 

十王岩は、如意輪観音・血盆地蔵・閻魔大王の3体の仏像が彫られている岩です。

毎晩、不気味な音をたてていたことから「喚き十王」とも呼ばれていました。

 

ちなみに宮比は、実際に鎌倉駅から若宮大路を進み、建長寺まで歩いてみました。

チャレンジして思いましたが、かなり距離がありハードです。

しかも、うっかり通り過ぎてしまい、十王岩が見つからず、山奥へと迷い込んでしまいました。

「小学五年生が単独で行動するには無理があるんじゃね?」と、思わず突っ込みを入れたくなるコースです。

慎一と春也の体力と注意力の深さに脱帽しましたよ。

必死になって汗だくで帰還しましたが、現実に訪れてみると、小説では感じなかった新たな発見があり楽しいですよ。

 

鎌倉まつり

 

鎌倉まつりとは、1959年(昭和34年)から続いている伝統的な鎌倉の祭りです。

鶴岡八幡宮に向かい、源頼朝や北条政子の演者、射手、神輿、囃子が巡行します。

また、舞踊である『静の舞』、流鏑馬(やぶさめ)等も行われます。

 

静の舞

舞殿に、鼓と拍子木を持った演奏者たちが登場してきた。よう、よう、などとくちぐちに変な声を上げ、リズムがあるのかないのだかわからないタイミングで鼓を打ち、拍子木を鳴らしはじめる。その奇妙な演奏の中、やがて舞台の奧から静御前が現れた。

静の舞は、とても哀しげで、寂しげだった。静御前がうつむくと、その白い頬には涙さえ見えるようだった。よう、よう、という変な声も、妙なタイミングで聞こえてくる鼓や拍子木も、静御前が現れた瞬間から、この上なく彼女の舞に似つかわしいように思えた。(『月と蟹』より)

 

伝説によると、1182年(寿永元年)、後白河法皇が白拍子という袴姿の男装して舞う女性100人を神泉苑に呼び、「雨乞いの舞」を踊らせました。

99人の白拍子が舞っても雨は降りませんでしたが、100人目となる静が舞うと、3日間に渡り、雨が降り続いたのです。

 

その後、「住吉での雨乞い」をきっかけに、源義経に気に入られて妾となったのだと伝えられています。

兄である源頼朝と揉め、義経が都を落ちるときも静は身を共にしました。

『吾妻鏡』よると、1185年(文治元年)、大物浜へ行くものの、船が難破して海を渡ることができず、家人はバラバラとなります。

 

頼朝に捕らえられた静御前は、義経の居場所を問い詰められるが頑なに口を閉ざしました。

京都で名の通った白拍子だと知った頼朝は雨乞いの舞を強要します。

ようやく始めた舞は、あろうことか義経への思いを謡い、舞ったものだったのです。

 

吉野山 峰の白雪ふみ分けて 入りにし人のあとぞ恋しき

 

静御前が義経と別れた場所である吉野山の峰の白雪を踏み分けて、姿を隠していった義経のあとが恋しい、という意味です。

 

しずやしず 賤(しず)の小田巻くり返し 昔を今になすよしもがな

 

「賤(しず)の小田巻」とは、麻糸を真ん中が空洞になるようにクルクル巻いたもの。

賤(しず)の小田巻をいくらクルクル巻いても、昔は戻って来ず、どこかへ行ってしまった義経が恋しい、という意味です。

 

また、静のお腹の中には義経の子供を宿していました。

その後、出産しますが、男の子であったため復讐を恐れた頼朝の命により、由比ヶ浜の海に投げ捨てられてしまいます。

子供を殺された静の哀しい思いが「静の舞」に込められているのです。

 

葉山

 

葉山町(はやままち)は、神奈川県の三浦半島西部に位置する町です。

 

慎一、春也、鳴海の三人は、ヤドカリを神様に見立てて、火で炙り、願いを込めます。

そのヤドカミ様の儀式を行った磯の場所は、作中で明言されませんが、作者である道尾秀介はインタビューで葉山を訪れています。

 

葉山は、のどかな町で、ゆったりとした時間を過ごすことができます。

鎌倉、湘南、江ノ島が近いため、観光地として訪れる人も多く、『月と蟹』のモデルとなった美しい海岸がいくつも存在します。

 

森戸海岸

鎌倉時代から遊楽の地とされてきた森戸海岸は、「かながわの景勝50選」に選ばれています。

夕陽を背景に、山々と岩礁が織りなす景色は絶景です。

住所:神奈川県三浦郡葉山町堀内1025

 

長者ヶ崎海岸

長者ヶ崎海岸も「かながわの景勝50選」に選ばれています。

高台の駐車場から見える江の島、伊豆半島、富士山を望む景色がすばらしいです。

住所:神奈川県三浦郡葉山町下山口2051

 

真名瀬海岸

葉山の海岸の中央に位置する真名瀬海岸。

裕次郎灯台と言われる葉山灯台をバックにして富士山を観ることができます。漁港と磯の素朴な風景が魅力です。

住所:神奈川県三浦郡葉山町一色2511-129

 

一色海岸

一色海岸の澄んだ海水は、「世界の厳選ビーチ100」に選ばれています。波も穏やかで、静かな雰囲気を味わえます。

〒240-0111 神奈川県三浦郡葉山町一色

 

『月と蟹』考察

『月と蟹』考察

 

『月と蟹』「二十日鼠と人間」「タイトルの意味」「子供たちの心理」の項目に分けて考察します。

 

二十日鼠と人間

 

作者である道尾秀介は、『月と蟹』を書くにあたり、スタインベック『二十日鼠と人間』を意識したと述べています。

『二十日鼠と人間』は、大恐慌時代のアメリカで二人の農場労働者が貧困や格差によって悲劇に巻き込まれて行くと言うストーリーであり、理不尽と戦うことがテーマとなっています。

 

一軒の小さな家と農場を持ち、土地のくれるいちばんいいものを食い、ウサギを飼って静かに暮らす――。からだも知恵も対照的なのっぽのレニーとちびのジョージ。渡り鳥のような二人の労働者の、ささやかな夢。カリフォルニアの農場を転々として働く男たちの友情、たくましい生命力、そして苛酷な現実と悲劇を、温かいヒューマニズムの眼差しで描いたスタインベックの永遠の名作。

 

大人は知恵や武器を駆使することができますが、小学生の子供が主人公ならば、理不尽にどう立ち向かうのか、という着想から生まれた物語が『月と蟹』なのです。

世界を変える力のない子供は、自分自身の世界を作るか、現実の世界を自分の世界として思い込もうとします。

 

また、道尾秀介は『月と蟹』を書き終えた時、ミステリーの仕掛けを使わずに『向日葵の咲かない夏』が書けたとも表現しています。

当時、ミステリ作家としての色合いが強かったですが、『月と蟹』を発表して以降は、純文学作品が目立つようになっていると感じました。

 

タイトルの意味

 

タイトルにある「蟹」には、二つの意味があります。

 

一つ目に、ヤドカリです。

主人公である慎一と友人の春也は、理不尽な世界を変えるため儀式に願いを込めます。

その儀式の手法がヤドカリを炙り殺すというものであり、蟹=ヤドカリが物語のキーを担っているのです。

 

二つ目に、です。

大きな蟹を英訳すると、キャンサーですね。

キャンサーには癌の意味もあります。

古代ギリシアの医師ヒポクラテスは、周りの組織に浸潤していく悪性腫瘍の様子が、手足を伸ばしたカニに見えたため、キャンサー(癌)と表現しました。

 

慎一の父親は、すでに癌で亡くなっていること。

また、祖父の昭三も頭部打撲によって脳内出血を起こし、脳内で広がっていく出血も蟹を連想させます。

蟹をイメージさせる二つの要因が、慎一の心理に暗い不安の影を落とし、物語を構築しているのです。

 

さらに、タイトルに含まれる「月」にも二つの意味が考えられます。

 

一つ目に、狂気の心理状態の意味合い。

「月(lunatic)」とは、「精神に異常をきたしている、狂っている、愚かな、狂気の」いう意味があります。

満月から半月、三日月、新月へと形を変えていく月の満ち欠けは、変わりやすい人の性格を表していると言えます。

また、中世ヨーロッパでは、満月を見ると変貌する狼男の伝説のように、月が人間の気を狂わすと考えられてきました。

 

願いを叶えるためにヤドカリを炙り殺す行為、及びそれを本気で信じてしまっている子供の心理が如何に危ういか、本作で窺い知ることができます。

 

二つ目に、闇の中の光の意味合い。

夜の天体として輝く月は、果てしない闇の中の光を彷彿させます。

希望のない暗黒の世界で、少年たちがヤドカミ様に願いを託した一縷の希望と未来のイメージが月の光なのではないでしょうか。

 

子供たちの心理

 

『月と蟹』に登場する少年と少女の心の成長を描いたストーリーです。

 

親を事故や病気で亡くしたり、クラスメイトから嫌がらせを受けたり、家庭内暴力に耐え忍んでいたりと、それぞれが思い悩んでいます。

そういった問題に、親の恋愛や友人への嫉妬が拍車をかけていきます。

 

少年たちは、首まで土に埋められた灰色の巨人の顔に似た岩の窪みを秘密の場所にして、ヤドカリの儀式を行います。

単なるヤドカリをヤドカミ様と祀り上げ、ライターで炙り殺すという儀式は、子供の遊び独特の無邪気で残酷なシーンです。

始めは面白半分でしたが、しだいに願いが叶うと本気で信じ込みます。

 

こうした生き物を簡単に殺める行為は、慎一たちが特別ではなく、誰もが子供時代に経験するからこそ胸に刺さるものがあります。

そして、この危うい精神バランスは、些細なことで崩れる恐れを秘めていることも感じさせる内容です。

 

道尾秀介は、理不尽と戦うことをテーマとしました。

子供は悩みがなく、いつも無邪気だと考えてしまうのは大人の勝手な解釈であり、子供は子供の世界があり、思い悩んでいます。

大人の些細な行動や言動で子供は苦悩します。

大人ならば、戦う術や逃げる術を心得ていますが、子供はそうはいきません。

 

ヤドカミ様の儀式を通して世界を変えようと願う少年たちの姿は切実であり、暗い現実を覆うため自らが空想の神様を作らざるをえなかった理由が思い伝わってくる小説ではないでしょうか。

 

 

以上、鎌倉を旅行する時に読む小説として、道尾秀介『月と蟹』を紹介しました。

興味が湧きましたら、ぜひ手に取って読んでみてください。

 

注目度ナンバー1の著者による少年小説の傑作! 「ヤドカミ様に、お願いしてみようか」「叶えてくれると思うで。何でも」──家にも学校にも居場所が見つけられない小学生の慎一と春也は、ヤドカリを神様に見立てた願い事遊びを考え出す。100円欲しい、いじめっ子をこらしめるなどの他愛ない儀式は、いつしかより切実な願いへと変わり、子供たちのやり場のない「祈り」が周囲の大人に、そして彼ら自身に暗い刃を向ける……。鎌倉の風や潮のにおいまで感じさせる瑞々しい筆致で描かれ、少年たちのひと夏が切なく胸に迫る長篇小説。 第144回直木賞受賞。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

それでは、素敵なよりみちライフを。